赤松円心

更新日:2025年05月12日

赤松円心

赤松則村(出家後に円心を名乗る)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将です。建治3年(1277)播磨国佐用庄赤松(現在の上郡町赤松)に生まれました。

若いころの動向は不明ですが、鎌倉幕府の出先機関である京の六波羅探題に勤務する御家人であったとする説もあります。また、山陽道に近い赤松の地の利を活かして、中国山地からの木材や鉄などの流通を掌握し、力を蓄えていったとみられます。

歴史の表舞台に登場するのは元弘3年(1333)57歳の時、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の令旨を受けて幕府打倒の兵を挙げ、山陽道を東上して京へ進攻、六波羅を攻め落とすなど建武政権の樹立に多大な功績を挙げました。

しかし、政権内部の対立から護良親王派として失脚、足利尊氏が政権に反旗を翻すと行動を共にして政権方と戦いました。また、尊氏が敗れて京を追われると、九州へ下って体制を立て直し、朝敵となるのを免れるため後醍醐天皇と対立する光厳上皇より院宣を得ることを進言したといわれています。その後、新田義貞率いる6万の追討軍を白旗城で50日余り釘付けにして進撃を防ぎ、勢力を盛り返して東上してきた尊氏と合流して京へ攻め入るなど、室町幕府成立の立役者となりました。

この功により、円心は播磨国守護職に任命され、その後の守護大名赤松氏興隆の基礎を築きました。貞和6年(1350)京都七条の邸宅で74歳の生涯を閉じ、京都の建仁寺久昌院に墓が、上郡町法運時雲寺に供養塔がのこされています。

円心館

上郡町河野原の宝林寺境内にある資料館。室町時代の守護大名赤松氏の資料の展示のほか、赤松円心の三男赤松則祐、その娘千種姫、別法和尚の木坐像の「赤松三尊像」と呼ばれる県指定文化財も見学することができます。

製作は室町時代とされ、慶派の流れを組む康俊によって制作されたと考えられています。

いずれも、寄木造りで、玉眼を嵌め、彩色が施されており、袈裟の襞の表現が細かく、室町期の慶派の作風を色濃く残している坐像であることは間違いありません。

円心坐像は、法体姿で右手に中啓を持ち、左脇に刀を差す珍しい構えの像となっています。

則祐坐像は、江戸時代前期に宮内法橋という大坂の仏師の手によって、修理をうけています。

キャラクター

円心くん

赤松円心(リアルキャラクター)

円心まんじゅう

赤松を語らずして播磨は語れません。

中世、二百五十年の永きにわたって播磨の国を支配した赤松一族の中で、中興の祖として活躍した赤松次郎左衛門尉則村(入道円心)の名は広く知られています。

赤松円心が元弘三年(一三三三年)、大塔宮護良親王の令旨を奉じて播磨の国苔縄に兵を挙げ、京都六波羅に攻め入って幕府を討ち、建武中興を成し遂げる天下草創の功をあげたことは有名です。

現在も播磨各地には赤松氏ゆかりの城址、寺社、郷村をもって姓とした人たちが多い。播磨銘菓『圓心』が生まれたゆえんです。

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