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宝林寺と赤松三尊像(兵庫県指定有形文化財)

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最終更新日:2015年4月9日(木曜日) 11時20分
ID:2-3-9609-9528
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宝林寺と赤松三尊像(兵庫県指定有形文化財)

赤松則祐(そくゆう)開基の惣領家氏寺、宝林寺を紹介します。

宝林寺は、赤松則祐以降の播磨守護・惣領家が氏寺として庇護した臨済宗の寺院です。開山・雪村友梅法系の高僧が代々住持を務め、十刹の寺格となりました。赤松氏とともに衰微しましたが、江戸時代以降は真言宗に改め、境内円心館で「赤松三尊像」が公開されるゆかりの寺院として、多くの人々が訪れます。

◆歴 史
 宝林寺は、南北朝時代、赤松円心三男の則祐が、播磨国守護・惣領家を継いで赤松村の河野原に建てた臨済宗の寺院です。
 同寺は、はじめは備前国新田荘中山(岡山県和気町)に、則祐が帰依する雪村友梅を開山に勧請して建立されましたが、火災の後、惣領家の本拠である赤松村に移転されました。
 赤松惣領家が子々孫々庇護する氏寺として、塔頭は雪村和尚の塔所(墓所)・宝所庵に限り、歴代住持も雪村法系の僧に限るなど特別視されました。五山に次ぐ十刹となる一方、則祐の子息義則の代に塔が建てられるなど、惣領家によって頻繁に整備拡張が図られました。かつては河野原集落の全域が境内地であったとみられています。永徳3年(1383)頃、境内に塔が建てられており、集落西の谷部に「塔之谷」の字名がのこります。
 嘉吉の乱で赤松惣領家が滅ぶと、山名氏によって寺領が押領されます。後に惣領家が復活すると、再び庇護を受けるようになりますが、戦国時代には赤松氏とともに衰微したとみられています。
 江戸時代には真言宗に改め再興されますが、赤松氏ゆかりの寺として「赤松三尊像」などの寺宝が伝えられています。

◆見 所
境内の円心館には、赤松円心・則祐・雪村友梅・覚安尼の木坐像(赤松三尊像)が展示・公開されています。南北朝時代の作で、昭和51年(1976)彫刻として兵庫県の有形文化財に指定されています。
赤松円心坐像は、太刀を挟んだ法体姿の武将像で、禅僧の九条袈裟と異なる五条袈裟を掛けているは、円心が半僧半俗の沙弥(しゃみ)であったことを示すとみられます。
 赤松則祐坐像は、元は京の建仁寺にあったのが、後に宝林寺に移されたといわれています。禅僧の九条袈裟を掛け、若くから出家して僧侶のまま武将として活躍した則祐の人生を物語ります。像内に慶安三年(1650)の修理銘がのこります。
 雪村友梅坐像は、宝林寺の開山「別法和尚」坐像と伝えられていますが、実際の開山・雪村友梅の像とみられます。作風から、運慶ら奈良仏師の流れを組む「慶派」仏師康俊の作と考えられます。
 覚安尼坐像は、赤松円心もしくは則祐の娘千種姫が出家剃髪した姿と伝えられます。作風から、「慶派」仏師康俊の作と考えられます。
 また、円心館正面には、赤松則祐建立、千種姫供養塔と伝えられる2基の宝篋印塔が建っています。室町時代の作とみられ、境内墓地にも同時代の宝篋印塔2基がのこります。

◆アクセス (所在地: 兵庫県赤穂郡上郡町河野原279番地 宝林寺)
〔鉄 道〕 JR山陽本線上郡駅から智頭線乗換え。
      2駅目の河野原円心駅下車。徒歩5分
〔自動車〕 山陽自動車道 龍野西I.Cから西へ約40分
      中国自動車道 佐用I.Cから南へ約30分
 
☆見学について
      赤松の松雲寺(電話0791-52-1277)まで事前に申込み願います。
      見学資料代として300円をいただきます。

※主な参考文献 『上郡町史』第一巻 2008年 上郡町

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