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日本近代化のパイオニア 大鳥圭介

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最終更新日:2016年1月14日(木曜日) 11時19分
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日本近代化のパイオニア 大鳥圭介

 明治維新後、日本の殖産興業の近代化に大きく貢献した大鳥圭介(おおとりけいすけ)について紹介

(概略)
1832年2月28日 生 - 1911年6月15日 没
日本の西洋軍学者、幕臣、軍人、官僚、外交官。
正二位勲一等男爵。
家紋は鶴の丸。

 大鳥圭介公は、江戸時代末、飢饉と様々な病気の続く天保3(1832)年に、赤穂郡細念村小字石戸(現在の上郡岩木石戸地区)に医業を営む大鳥直輔の長男として生まれました。
 幼い時はやんちゃで、ガキ大将でしたが、医者兼漢学者の祖父純平の薫陶を受け、学問を志しました。
 岡山藩閑谷学校で5年間学び、祖父純平の様に漢学者になろうとしましたが、父のたっての願いで、赤穂の医師・中島意庵という西洋医の下で、二年間修業をしました。これが契機となり導かれて大阪の適塾、次で江戸の大木塾、江川塾で学びかつ教え、ついには幕臣旗本となりました。しかし、戊辰戦争で敗れ、二年半の間、入牢後、死罪を免れて明治新政府に仕えることとなりました。
 出牢後は、英蘭仏語ができる事を生かし、日本の殖産興業に尽力、同時に日本を背負って立つ大勢の人材を育てました。当時には珍しく八十の齢を重ね、今の日本の礎を築いたのでした。

 (寄稿者:いきいき交流ふるさと館塾長 猪尾氏)

大鳥圭介(1832-1911)略歴
(幕府時代)
1832
 天保3年  0歳 細念村小字石戸(現上郡町岩木丙)にて誕生
1845
 弘化2年 13歳 閑谷学校
1849
 嘉永2年 17歳 赤穂・中島意庵のもとで医者修業
1852
 嘉永5年 20年 適塾(翌年黒船来航)
1854
 安政元年 22歳 大木塾(坪井塾)
1857
 安政4年 25歳 江川塾(教授に招聘)
1865
 慶応元年 33歳 幕臣  2年後 歩兵奉行
1868
 慶応4年 36歳 戊辰戦争 旧幕府軍として官軍に抵抗
1869
 明治2年 37歳 五稜郭で敗戦・入牢

(明治新政府)
1872
 明治5年 40歳 無罪放免  開拓使・大蔵省出仕、米英へ出張
1875
 明治8年 43歳 工部省 工学寮権頭(後、工部大学校校長)、兼、製作寮頭
1876
 明治9年 44歳 工部美術学校長
1882
 明治15年 50歳 元老院議員
1886
 明治19年 54歳 学習院長
1887
 明治20年 55歳 華族女学校長
1889
 明治22年 57歳 清国公使
1893
 明治26年 61歳 朝鮮国公使 兼任
1894
 明治27年 62歳 日清戦争 公使解任 枢密顧問官
1895
 明治28歳 63歳 勲1等瑞宝章
1900
 明治33年 68歳 華族・男爵位
1903
 明治36年 71歳 第5回内国勧業博覧会(大阪)審査総長
1911
 明治44年 79歳 没

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