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上郡ゆかりの偉人

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最終更新日:2011年9月21日(水曜日) 13時08分
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上郡ゆかりの偉人

 上郡町のゆかりの偉人の事績などを紹介しています。

名  前

生 没 年

偉人の紹介・事績等

重 源
(房号:俊乗房)

保安2年(1121年)~
建永元年(1206年)

平安時代末~鎌倉時代初期の僧。焼失した東大寺大仏殿復興の責任者。復興事業の一環として船坂峠を開削し、再整備するなど西日本の各地を開発。

赤松則村
(法名:円心)

建治3年(1277年)~
貞和6年(1350年)

鎌倉時代末~南北朝時代の武将。鎌倉幕府の打倒~室町幕府の樹立に多大の貢献。白旗山に白旗城を築城。播磨国守護職に就く。苔縄に法雲寺を創建。

雪村友梅

正応3年(1290年)~
貞和2年(1346年)

南北朝時代の禅僧。赤松氏に招かれて法雲寺・宝林寺の開山住持に就く。両寺は後、十刹に列せられる。

赤松則祐

応長元年(1311年)~
応安4年(1371年)

鎌倉時代末~南北朝時代の武将。赤松円心の三男。播磨・摂津・備前守護職として山陰の山名氏に対抗。禅律方頭人を務めるなど室町幕府の重鎮。河野原に宝林寺を移築・再建。覚安尼(千種姫)はその娘と伝えられる。

長治祐義
(通称:理兵衛)

明和7年(1770年)~
天保14年(1843年)

江戸後期の歌人。山野里村の庄屋の傍ら、各地の名所旧跡を訪れ、多くの歌人と交流。歌集編纂にも関与。

三宅光能
(通称:栄蔵)

安永6年(1777年)~
弘化3年(1846年)

江戸後期の書家・教育者。上郡村に招かれ、寺子屋「正訓堂」を開く。没後、門弟達が上郡天満神社に筆塚を建立し顕彰。

隈川春雄

寛政3年(1791年)~
明治2年(1869年)

江戸後期の歌人。上郡村生まれ。長治祐義に和歌を学んだのち、加茂季鷹の養子となり和歌の研鑽につとめた。本姓は山口で、上郡を離れる際に隈川と改めた。秋香舎または柿廼屋と号した。弟・春蔭の遺稿を集め『志古草』を出版。

隈川春蔭


天保8年(1837年)

江戸後期の歌人。隅川春雄の実弟。生年は不詳。春雄とともに長治祐義や加茂季鷹に和歌を学ぶ。兄・春雄と和歌の研鑽に山陽道の各地を旅行するも、長崎で病のため没する。駒山と号した。

西脇亀仙
(通称:加三郎)

寛政7年(1795年)~
明治3年(1870年)

江戸後~明治初期の俳人。酒造業玉木屋二代目。上郡村庄屋として天保101839)・弘化3年(1846)の隈見橋架橋に尽力。

観音院観空
(通称:藤本観治)

文化5年(1808年)~
明治18年(1885年)

幕末~明治の学者・教育者。金内村に寺子屋「観音院」を開く。明治2年(1869)に門弟達が金内に筆塚を建立し顕彰。

千種朝貫
(通称:惣右衛門)

文化12年(1815年)~
元治元年(1864年)

江戸末期の歌人・教育者。苔縄村の庄屋(里正長)の傍ら活動。没後、門弟達が法雲寺の門前に筆塚を建立し顕彰。

村尾よし

明治6年(1873年)~
大正10年(1921年)

明治・大正期の教育者。女子の高等教育修学を目指し、明治35年(1902)に「村尾裁縫女学校」(上郡高等女学校の前身)を設立。
 赤穂郡高田中野村の生まれ

大鳥圭介

天保3年(1832年)~
明治44年(1911年)

幕末~明治の洋学者・軍人・技術官僚・外交官など。戊辰戦争では旧幕府軍の陸軍奉行。降伏後、明治政府の殖産興業の推進役を務め、日清戦争開戦時には公使として朝鮮との外交交渉にあたる。
 赤穂郡細念村の生まれ
 
 日本近代化パイオニア 大鳥圭介

大山郁夫

明治13年(1880年)~
昭和30年(1955年)

大正・昭和期の社会運動家。政治学者として民主運動を実践するも弾圧され、戦時中は米国へ亡命。戦後は帰国して平和運動を行う。
 赤穂郡大持村の生まれ

原惣兵衛

明治24年(1891年)~
昭和25年(1950年)

大正・昭和期の政治家。衆議院議員(当選6回)の後、姫路市長(昭和1821年)を務める。戦後、姫路市・飾磨市外6町の大合併を行う。
 上郡村竹万の生まれ

安東聖空
(本名:正郎)

明治26年(1893年)~
昭和58年(1983年)

大正・昭和期の書家。かな書きの地位を画期的に高めた近代かな書壇の創成者。昭和55年文化功労者。
 船坂村梨ヶ原の生まれ。

山崎剛平 

明治34年(1901年)~
平成8年(1996年)

昭和期の文芸家。「砂子屋書房」を開き、太宰治など多くの新進作家を世に送り出し、昭和10年代の文壇をリード。
 上郡村市町の生まれ

坂口神月 

明治37年(1904年)~
昭和60年(1985年)

昭和期の陶芸家。幼いころから滋賀県大津の紅葉館(現・ホテル紅葉)で働き、16歳から信楽焼の製作に携わる。終戦後、作陶に勤しむも昭和44年頃出家して山伏となる。姫路市円福寺には遺作が残る。
 上郡村大持の生まれ

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